犬も食わない包子を食べに天津を散歩する

今回の中国編は、北京在住の友人と一緒に出掛けた天津で締めくくる。 実は北京は3回目の訪問にも関わらず、天津に来たのは初めてだった。今では列車に乗ればわずか1時間という隣町である。駅を降りた瞬間、ここはどこの国? と驚いた。目の前を流れる川の対岸…

万里の長城を仰ぎ見ながら「農家菜」を味わう

北京から「北の離宮」として知られる招徳方面に向かって車で1時間ほど走ると、ここ数年、長城観光の穴場として知られるようになった「水長城」に到着する。ここが人気になったのは、万里の長城を眺めながら、「農家菜」といわれる農家レストランで地元のおい…

頤和園で西太后の往時を偲ぶ

かねて疑問に思っていたのだが、「なぜ日本は宦官を導入しなかったのか」と。アジア、特に中国文化の及んだ朝鮮やベトナムでは宦官が取り入れられたのに、なぜ日本だけが違ったのか。そんな長年の疑問に、ようやく納得できる答えを見出した。吉林人民出版社…

チベットの聖地で日中の震災を悼む

右から3番目、携帯電話をしているのが、ガイドの李さん そもそも九寨溝は、チベット族の9つの山寨(村)があったことからその名が付いた。かつては外部から容易に入郷できない秘境だったが、1970年代以降、森林伐採などを目的に漢族が入り込むとともに観光地化…

天駆ける「神の瀧」に命水を授かる

龍にサンズイを付けると「瀧」になる。古来、瀧は龍の棲みかと言われてきたが、仙境・九寨溝こそ、「神の瀧」が流れる聖地であった。九寨溝には100以上の湖とともに、17もの滝がある。中でも、幅310mの珍珠灘瀑布や、同じく320mという幅広の諾日朗瀑布が有名…

幻のパンダを求めて雪の九寨溝を行く

4月の九寨溝はまだ雪景色だった。ベストシーズンは秋の紅葉というが、雪を冠った山間に浮かぶ湖面を見ていると、むしろこんな風景を見られた偶然に感謝したくなる。まさに雪の九寨溝は、この世の景色とは思えない美しさだった。九寨溝には100を超える湖があ…

杜甫を偲んで草堂で白酒を呷る

浣花渓水水西頭 主人為卜林塘幽 已知出郭少塵事 更有澄江銷客愁 無数蜻蛉斉上下 一双鸂鶒対沈浮 東行万里堪乗興 須向山陰入小舟 (杜甫「卜居」)この七言律詩は、安禄山の乱を逃れて流浪していた杜甫が、ようやくたどり着いた成都で「卜居」=居を定めた時に詠…

「老成都」の趣を求めて屋台街を歩く

手前に見えるのはサンマ。これを焼いて唐辛子をふって食べる 錦里の屋台街は人でごった返していた 成都は『三国志』好きの人間にとってはあこがれの街だ。中でも諸葛孔明を祀った武侯祠は「聖地」である・・・・・・という思いが強かった分、実際に見た諸葛孔明や…

水の都・蘇州の新旧の水路を巡る

蘇州は水の都として知られている。紀元前6世紀、呉王・闔閭がこの地に都城を築き、運河で市街を囲み、水路を縦横に走らせたことが始まりだ。 呉と言えば三国志の呉の方が有名だが、この呉国はそれより800年ほど前にさかのぼる。呉の闔閭は、今、テレビで放映…

杭州・西湖畔でソメイヨシノを詠む

杭州之桜盛華大輪如満桜 百花斉放中国城 春日訪杭州見桜 正開華日本同時 我望双桜成亜樹縁あって、この春、中国各地を旅してきた。実は中国に来たのは20年ぶりなだけに、経済成長の続く今の中国のあまりの変わりように驚くことしきりだった。杭州を訪れたの…

秩父34カ所めぐり、結願しました!

久しぶりに「巡礼レポート」をお送りします。と言うのも、この週末、ついに秩父34カ寺観音巡礼の「結願」を迎えたからです。昨年のGWからカミさんと歩き始めて、通うこと6度で、ようやく成就した成果です。 日程を簡単に紹介すると、●平成21年5月4日 1-5番、…

救国の英雄・李舜臣が見た海へ。(後編)

「一揮掃討 血染山河」李舜臣の戦いの跡をたどろうと思ったのは、韓国時代劇「不滅の李舜臣」を見たのがきっかけだった。22戦して22勝、不敗の名将と称えられた彼は、負ける戦をしなかったこともあるが、陸上戦で負けまくった朝鮮軍が息を吹き返すきっかけと…

救国の英雄・李舜臣が見た海へ。(前篇)

釜山から西部方面へバスで2時間ほど走ると、名将・李舜臣(イ・スンシン)の水軍が本拠地とした統営(トンニョン)市に着く。最初に行ったのは市の東側、東湖湾を見下ろす丘の上に、李舜臣の巨大な石像が建つ記念公園だ。ここに屹立する李将軍の姿は凛凛しかっ…

海雲台リゾートで、カンチャンケジャンを満喫する。

慶州から今度はバスで釜山に戻る。市内に着いたのは夕刻だが、この日はリゾート都市として売り出し中の海雲台(ヘウンデ)に泊ることにしていた。ここは「韓国のハワイ」と言われるだけあって、海岸はきれいな砂浜で、夏は海水浴場としても賑わう。海岸沿いに…

古都・慶州は、韓国の“江戸村”になっていた!

慶州(キョンジュ)は、7世紀前後に朝鮮半島を統一した新羅の王都である(〜935年)。“屋根のない博物館”といわれるのは、市内のあちこちに歴代の王墓である古墳などが見られ、仏教関連の遺跡も多く残っているからで、日本で言うなら、ずばり「奈良」に似てい…

世界遺産の仏国寺(ブルグクサ)は素晴らしかったが・・・

西面近くの釜田(プジョン)駅で地下鉄から鉄道に乗り換える。ここから2時間の汽車の旅だ。夜8時に仏国寺駅に着いたが、田舎駅とあって、電車が行ってしまうと、駅周辺は閑散として真っ暗だ。タクシーを探したが、一台もいない。駅員に尋ねたら、向かいの…

韓国の仏像は金ピカで美しかった!?

釜山の北、地下鉄の最終駅のひとつ手前にある「梵魚寺(ボモサ)」まで出かけた。ここから韓国でも有数の禅寺へ参拝するのだが、周辺の山々への登山口でもあり、初詣での参拝客に混じって、登山客の姿も多かった。朝鮮王朝が廃仏毀釈政策により仏教を抑圧した…

釜山は旧正月。街は若者たちで溢れていた!

対馬北部の日田勝港から高速船で釜山港へ向かい、国境を超える。乗船を待つ間、近くの寿司屋に立ち寄った。対馬に来る韓国人旅行者はマナーが悪いと聞いていたが、確かに店を出入りする韓国人は、子供も大人も扉を閉めない。これが何度も続く。店の女将と顔…

対馬には、出雲より「神」ががったにおいがする。

翌日は、朝早くから島内をドライブする。真っ先に向かったのは南端の豆酘(つつ)。北九州と面と向かった、かつて日本から一番近い寄港地でもあった。若手の歴史家として注目される黒田智氏の書いた「なぜ対馬は円く描かれたのか」によると、この周辺は”避難所…

対馬は日本と朝鮮に両属した島国だった。

壱岐の芦辺港を出港、ほんの1時間ほどで対馬の玄関・厳原(いずはら)に上陸する。ジェットフォイルという高速船のおかげで、壱岐ー対馬は飛び石状態で旅行できるのだ。港で用意してもらったレンタカーに乗ってほんの5分ほど走ると、すぐに厳原のメインストリ…

玄界灘はまたまた雨、それも暴風雨だった。

朝、5時半に目覚める。前夜は10時に寝たので、早く起きるのも当然だ。しかし、外は雨、そして風も強い。今日は1日、たっぷりと島内観光をしたかったのに、嫌な天気だ。朝飯をかっこみ、朝市で知られる北端の勝本へ。しかし、この天気では朝市は無理だろうと…

「海の巡礼」紀行・・・玄界灘は雨混じりだった。

前々からぜひ行きたかった海から行く韓国ロード。西国巡礼ルポはいったんお休みし、壱岐・対馬を経由し、玄界灘を渡って行く「韓国巡礼」をレポートします。 2月中旬の博多港。雨混じりの埠頭で、壱岐行きのジェットフォイルに乗り込む。「この景気で、日本…

六番札所・壺阪寺への道には、いにしえ人のセンスがあふれていた

朝7時、朝食も摂らずに近鉄吉野線で壺阪山駅へ。ここは六番札所の壺阪山・南法華寺、通称「壺阪寺」の入り口だ。駅に降りたとたん、何かとてもいい「予感」があった。駅から長い石畳が続き、センスの良い町のにおいがする。ところどころに武家屋敷や長屋門…

四番施福寺を目指し、和泉の山中を歩く

2008年の年末、再び西国巡礼の旅に出る。さすがにクリスマスシーズンにお寺参りする人は少なく、閑散とした境内をひとり寂しく歩くこととなった。わずか二カ月ほど前に和歌山を回ったばかりだったのに、何故、年末に・・・。実は前回の巡礼行の直後に、突然…

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和歌山巡礼(二番・三番)へ

二番札所・紀三井寺(上の写真)、三番札所・粉河寺を訪れたのは翌年10月。那智でスタートした巡礼行は1年近く経っての再開となった。実は、突然の人事異動で編集部に戻ることとなり、あまりの多忙の故、出張する機会もなかったのだが、久しぶりの現場復帰…

那智の滝、そして札所一番へ。

07年11月、奈良での仕事を終え、ちょうど正倉院の”曝涼”の時期でもあったため、奈良国立博物館へ。そのまま帰ろうか、どうするかと考えていた時、ふと「那智の滝」を思い出した。これから那智へ行こうと。すぐに天王寺まで出て、紀勢本線で約3時間30分かかっ…