六番札所・壺阪寺への道には、いにしえ人のセンスがあふれていた


朝7時、朝食も摂らずに近鉄吉野線壺阪山駅へ。ここは六番札所の壺阪山・南法華寺、通称「壺阪寺」の入り口だ。駅に降りたとたん、何かとてもいい「予感」があった。駅から長い石畳が続き、センスの良い町のにおいがする。ところどころに武家屋敷や長屋門があるとおり、この町はこの道の先の山上にある高取城の城下町でもあった。


この道は通称、土佐街道といい、かつて労役のために連れ出された土佐の人々の名に由来するという。この地域には薬草が多く繁茂し、漢方薬の生産地だったようで、薬業で繁栄したらしい。今でも各所に薬草の案内があり、薬師堂が建ち、江戸期頃に建てられたとおぼしき古い医院まであった。この町の居住まいのよさは、かつての繁栄の賜物であろう。


すっかり気分が晴れやかになったこともあり、標高584mの山上にある高取城を目指し、そこから迂回して壺阪寺に行く山岳コースを歩くことにした。高取城は、南北朝時代に築かれた山城で、その後、筒井順慶豊臣秀長などが修築したが、天然の要害を生かし、各所に石垣を築いて曲輪を重ねた壮大なもので、その規模の大きさもあって、日本三大山城のひとつに数えられる。


城が近づくと急峻な坂道となり、息があえぐ。道は荒れるがままになっており、周囲の林からは何やら不気味なざわめきがする。何度目かの石垣を超えて、ようやく本丸跡にたどり着く・・・が、天守はもちろん、館跡らしきものもなく、今や「強者が夢の跡」だ。夏ならともかく、年末間近にこんな山城を訪ねる人はいない。実際、この日は途中で誰ひとり出会わなかった。


山中に点在する五百羅漢を横目に見ながら山道を下る。下り道に入って何故かこの1年の思い出が蘇ってきた。下るたびになにやらとても悔しく、また赤面するような恥ずかしさに襲われる。そんな気分でいたからか、落ち葉に足を取られて転び、捻挫。長い下り道で足はガクガクとなった。


ようやく壺阪寺の本堂が見えてきてひと安心だ。ここの本尊は十一面千手観音だが、境内のあちこちに何やら怪しげな建造物が立ち並び、いささか趣を欠く。商売上手なのか、インドから持ってきた石像まであり、いささかテーマパーク然とした観あり。『壺坂霊験記』の舞台でもあり、沢市をもじった目薬まで売っているのには唖然とした。


帰りは駅までバスでと思っていたが、バスは朝と夕方の1日2便しかない。しょうがなく、コンクリート道を1時間かけて歩くはめに。ここから七番の岡寺へ向かう。ただし、雨が降り始め、またすでに足が言う事をきかず、最短コース(?)を選び、飛鳥駅から岡寺ちかくまでタクシーに乗ってしまった。


岡寺は竜蓋寺ともいい、これはこの近くにいた悪竜を法相宗の祖・義淵僧正が法力で封じ込め、大石で蓋をしたという伝説が由来とか。雨は龍が降らすもの。龍が出てこないよう、雨がおさまりかけたのを見て、早々退散、飛鳥寺を回って、奈良市内に戻った。今夜の宿は、旅一番の贅沢をと、奈良ホテルに投宿した。