チベットの聖地で日中の震災を悼む


右から3番目、携帯電話をしているのが、ガイドの李さん


そもそも九寨溝は、チベット族の9つの山寨(村)があったことからその名が付いた。かつては外部から容易に入郷できない秘境だったが、1970年代以降、森林伐採などを目的に漢族が入り込むとともに観光地化が進み、村の一部も開放された。瀧見学を終えた我々が、オプションで頼んだチベット族の歓迎の宴で訪ねた家も、そんな観光村の中にあった。

迎えてくれた家族が白い絹のマフラー=ハダ(哈达)を首にかけてくれる。これはチベットでの最高のおもてなしだ。またこの家の家族がラサのポタラ宮まで巡礼に行った証しでもあるそうだ。九寨溝からラサに通じる道が、チベット仏教への信仰の証しとして五体投地で進む巡礼路であることを、この時はじめて知った。

実はこの中国行きと同じ時期に、ヤン・リーピンの日本公演『蔵謎』を見に行く予定だった。ツアーガイドの李さんに聞いたが、やはり「ヤン・リーピンは、ちょうど今、九寨溝のナンバーワンの劇団員を連れて日本に行っていますよ」とのこと。今回の日本公演のテーマは、九寨溝からラサのポタラ宮へ巡礼に行く老婆を主役にした信仰の物語だっただけに、ぜひ見たかった。まして、彼女自身は中国では踊らないと宣言しており、踊る姿は日本でしか見られなかったのに・・・。

残念な気持ちを抱えて、その夜は「二番目にうまい劇団」のステージを見に行った。それでも、チベット文化を凝縮した歌や踊りを楽しむことができた。選りすぐりのメンバーだけに、みな長身かつイケメンや美女ばかりで、彼らが跳ね飛ぶ姿に魅了された。

ところで、今回、中国に出かけたのは、東日本大震災の直後。それだけに、ガイドの李さんに日本の地震のことを尋ねられた。なぜ彼がそんな話を聞くかと思ったら、彼自身が08年5月12日に起きた四川大地震の被災者だったのだ。

四川大地震はこの九寨溝も襲った。当時、彼は32人のツアー客を連れてバスで移動中だったが、地震直後に巨大な岩がバスをめがけて襲い掛かり、乗客の大半が即死。生き残ったのは彼も含めてわずか9人だった。肩に傷を負いながら、李さんは残った乗客を誘導して近くの村に逃げ、なんとか無事に生還できたという。しかし問題はそれから。

地震の影響で仕事はなくなり、結婚する予定だった彼女とも別れてしまい、一緒に住むはずだった家の借金だけが残った。人生に絶望し、どうしようかと思い迷ううちに、いつしかチベット仏教に惹かれはじめ、救いを得ることができた。その後、チベット人の女性と出逢い、近く結婚する予定です。新たな人生を始められたのもチベット仏教のおかげです。彼女? 今夜のステージに出演していますよ」

地震という災害が機縁となった別れもあり、また出会いもある。しかし、「人生の救い」を得られたこの奇蹟は、この地ならではのエピソードとも思えた。