和歌山巡礼(二番・三番)へ

二番札所・紀三井寺(上の写真)、三番札所・粉河寺を訪れたのは翌年10月。那智でスタートした巡礼行は1年近く経っての再開となった。実は、突然の人事異動で編集部に戻ることとなり、あまりの多忙の故、出張する機会もなかったのだが、久しぶりの現場復帰であったと同時に、私の在籍する会社が兄弟会社と統合することとなり、その再編によるゴタゴタで身辺窮していたため、息抜きがてらの西国行きでもあった。


和歌山は母の故郷であり、子供の頃は、夏休みの度に、母親の姉妹たちとともに遊びに行った思い出の地であった。今は会う機会もなくなったが、当時は年の近い従姉弟たちと一日中、山の中を駆け回り、スイカ運びを手伝ったことを思い出す。母の実家は今は弟が継いでいるが、30数年ぶりにその家を訪ねた。山も谷も、そして伯父たちとの再会もただただ懐かしく、傷心の身には心地よいものとなった。紀三井寺近くの和歌浦も、かつて家族で旅行に出かけたことのある場所だったが、今や記憶は薄れ、写真を見たことしか覚えていなかった。


紀三井寺紀勢本線紀三井寺駅からすぐ近くにある。参道の先にある231段の石段で少し息があがる程度で、他の札所に比べれば拍子抜けするほど簡単に行ける巡礼地。ただし、本当なら桜の季節に来るのがベストではある。訪ねた時は、ちょうど境内で乳がん予防の「ピンクリボン」キャンペーンをやっていたが、これは世界で初めて乳がんの麻酔手術を行った名医・華岡清洲(1760-1835)の生誕地にあやかったもの。とはいえ、実際の青洲の生家は、むしろ次の粉河寺の方が近い。


ここから和歌の浦雑賀崎まで歩き、紀淡海峡を望む灯台の近くの安ホテルに投宿した。ご存知の方も多いだろうが、実は和歌山の魚はうまい。アジやシラウオのほか、クエも名物で、北陸や瀬戸内に匹敵する魚の宝庫だ。町中の居酒屋でたっぷり魚を堪能、締めはもちろん和歌山ラーメン・・・で満腹となった。


翌日、紀州徳川家の造営した養翠園に立ち寄り、和歌山駅経由で粉河寺へ。ここも駅から15分と至近距離にある。創建は宝亀元年(770)で、大伴孔子古(くしこ)が草庵を結び千手観世音菩薩を本尊とした古い寺だが、近くにある根来寺と同様、豊臣秀吉の焼き討ちで全山焼失するという憂き目に合う。根来寺はかつての隆盛がなりを潜めた感があるが、こちらは今も観光客で賑わい、いささか興趣を欠く。


本当は、ここからさらに西笠田まで歩く予定だったが、ウォーキングシューズが合わなかったか、ふくらはぎが劇痛となり、ここでUターンして帰途に着いた。いささか拍子抜けの和歌山巡礼となったが、その2か月後に、再び巡礼行に出かけることになろうとは、この時は気づくことはなかった・・・・。