杜甫を偲んで草堂で白酒を呷る

浣花渓水水西頭
主人為卜林塘幽
已知出郭少塵事
更有澄江銷客愁
無数蜻蛉斉上下
一双鸂鶒対沈浮
東行万里堪乗興
須向山陰入小舟
(杜甫「卜居」)

この七言律詩は、安禄山の乱を逃れて流浪していた杜甫が、ようやくたどり着いた成都で「卜居」=居を定めた時に詠んだ詩である。この時期、都の長安では飢饉が続き、兵乱も鎮まっていなかったため、民心が落ちついていた成都でひと時の平安を迎えることができたのだろう。この詩には、新生活に対する喜びとともに、周辺の山々へ出かけたいと思う楽しみが歌われている。

浣花渓とは、成都の西を流れる錦江の上流にあたり、このほとりに茅葺の庵を建て、浣花草堂と名付けた。これが今の「杜甫草堂」にあたる。杜甫はここで4年暮らし、240編以上の詩を遺したそうだ。

武侯祠がいささか俗に流れて、観光化し過ぎた嫌いがあったのに対し、杜甫草堂には静けさが支配し、落ち着いた庭園の中をゆっくり散策することができた。庭園の中ほどにある池のほとりに、杜甫が暮らした当時を再現した茅屋があった。人家というより馬小屋のような粗末な庵で、土間の上に素朴な机や椅子がぽつねんと置かれていた。この屋内を見ていると、質素でストイックな詩作活動を行っていたことが偲ばれ、しばし立ち去り難い感興があった。私は鷹揚で軽妙な李白の詩の方が好きだが、この庵を見て以来、杜甫への共感を抱くようになった。

杜甫は中国人はもちろん、世界で最も愛された詩人のひとりだろう。彼を慕って、世界中から多くの人々がこの草堂を訪れてくる。資料室には、毛沢東をはじめ、創生期の共産党幹部のほか、彼らに伴われてきた各国要人の写真が展示されていた。まさに杜甫は中国の宝なのだ・・・ただし、唯一、日本人の写真はなかった。いささか残念な扱いとは思ったが、ここは杜甫に免じて素通りすることにした。

時折、竹林に雨が滴っては止むのも一興。適度な湿り気に誘われ、喉を潤したくなった。ちょうど目の前の土産物屋で、カメに入った白酒を試飲させていたので、一杯所望する。この白酒、名前は「杜甫」という。杜甫に縁付くものが欲しかったので、小さな瓶を購入した。帰国後、一人酒を楽しもうと思って開けてみたら、フタが緩んでいたのか、いくらか漏れていたらしい。道中、杜甫がこっそり飲んでいたのかもしれない。