対馬は日本と朝鮮に両属した島国だった。


壱岐の芦辺港を出港、ほんの1時間ほどで対馬の玄関・厳原(いずはら)に上陸する。ジェットフォイルという高速船のおかげで、壱岐対馬は飛び石状態で旅行できるのだ。港で用意してもらったレンタカーに乗ってほんの5分ほど走ると、すぐに厳原のメインストリートに出る。町は綺麗に整備され、町中の各所を石垣がめぐり、ここが城下町であることを教えてくれる。厳原は対馬島主・宗家700年の歴史が刻まれた由緒ある古都だ。市役所横のお堀端の道を歩いて行くと、突き当たりに宗家代々の墓所である万松院がある。ここは加賀の前田家、山口の毛利家とともに、日本の三大墓所のひとつと言われ、長い石段を登った先に、20代目宗義智以来のお殿様が祀られている。宗義智は、秀吉の朝鮮侵略の際に、先陣を担った小西行長の娘婿であり、行長に随伴した武将としても有名だ。


万松院の周辺には、対馬八幡宮神社をはじめ、多くの神社やお寺があり、また城下町らしく、武家屋敷跡も多く、古都ならではの佇まいを見せている。厳原はクルマより、歩いて回った方が便利。この日は、昼酒も楽しみつつ、北の古都の魅力に酔いしれた。


壱岐対馬はよく比べられるが、土地柄の違いもあり、島民の性格もかなり違っているそうだ。司馬遼太郎の「街道をゆく」には、こんな下りがある。


壱岐人と対馬人は仲が良くない。口先だけの楽しみとしてやっているのかもしれないが、互いに相手の悪口をよく言う・・・。対馬魏志倭人伝にも、"山険しく、深林多く、良田無し"と記され、山が多く、また岩の質が硬く、削っても畑を作ることができない。一方、壱岐は小さい島ながら、長崎県内でも第二の広さの平野があり、ことごとく耕されている。豊潤なほどの農村文化を持った壱岐は、農村文化の伝統的な美徳であるつましさを持っている。が、対馬は漁村文化が基底にある。漁村文化は一攫千金の可能性を持ち、農村のようにしわっぽく勤倹貯蓄する必要がなかった。漁民のひらきなおりは、江戸の大工の精神に似通い、ためにこの島の都邑である厳原には、バーが70〜80軒もあり、痛快というしかない。」(「街道をゆく 13  壱岐対馬の道」より)


実際に、壱岐対馬の人たちが互いを評している場面には出会わなかったが、壱岐は平地で農地が多く、対馬はほぼ8割以上が山地で、海岸沿いは切り立った崖であることはよくわかった。おまけに、厳原にスナックが多いのは確かだ(笑)。厳原港近くの居酒屋の主人曰く、「博多に出るにも、釜山に出るにも大変。だから、島内で遊びはすべて済まそうと、スナックが乱立した。でも、今はずいぶん減りましたがね」とのこと。


対馬は漁村文化であると同時に、また倭寇の本拠地であることもよく知られている。海賊文化も対馬人の性格形成に大きく影響しているのだろう。ただし、倭寇は前期と後期で性格が変わり、前期は対馬出身の早田氏を首領とする日本人がほとんどだったのに対し、後期は中国人の王直(ワンチョク)たちが、松浦や五島列島対馬を拠点に暴れまわった。その意味では、対馬の人たちが一方的に海賊扱いされるのは不本意かもしれない。ちなみに、王直はポルトガル人を連れて日本に鉄砲を売り込む手配をした張本人で、密貿易とはいえ、結果として日本に大きな貢献もしている。


ところで、ここ数年、対馬各地で韓国人が不動産を買いあさり、また韓国人旅行者が大挙して押し寄せ、「対馬は韓国の領土」と騒ぐなど、韓国人の「進出」が危惧されている。元々、九州本土まで132kmもあり、朝鮮半島へは最短49.5kmと近いため、韓国は「近くの他人」。過疎化が進み、人口4万人前後となった島に、年間8〜9万人の韓国人が来島、あちこちにハングルの看板が目立つのを見ても、対馬の「韓国」依存は無理もない。国境の島であるにも関わらず、頼りにすべき日本人の関心ははるかに低いのだから、いまさら何を言うか、と言いたくもなろう。


対馬と海峡の中世史」を書いた佐伯弘次氏によると、そもそも対馬は「日本と朝鮮に両属し」、2つの国の間で上手に立ち回ることで独立した地位を保ってきた島国であった、と。例えば、こんなエピソードがある。秀吉の朝鮮侵略で関係の悪化した朝鮮との関係修復を図るため、宗義智が将軍名で偽の文書を作って朝鮮に送ったが、これが江戸幕府にバレて、ついにお家お取りつぶしか、という危機にあったことがある。この危機を伊達政宗が機転を利かせて助けたため、宗家は伊達家に忠義を尽くすのだが、対馬の宗家は、日本と朝鮮両国の利害が食い違うたびに、勝手に偽書を作って取り繕っていたようだ。


国境地帯には、その地域ならではの理屈と本音がある。これがわからないと単なる国防問題にすりかえられてしまう。「対馬が危ない」キャンペーンを書いたサンケイ新聞には、過疎化する国境地域に注意喚起させたという意味で評価はするが、両国の交流の狭間で立ち回る対馬自身がどう生きていくかを提案しなくてはいけないと思う。


スナック街に出た。この地区のあちこちに、「対馬防衛隊」のメッセージが書かれていた。「両国の交流を深めるためにも、マナーを守った行動を」というのが趣旨だ。問題なのは、地元に対する敬意と配慮。一部の韓国人のマナーが悪いことが、この騒動を膨らませた一因だが、「確かに韓国が経済成長し、最近はフツーの人たちが対馬に来るようになったので、マナーが悪いと騒ぐ。でも、この10年で見たら客筋はよくなってるんだけどね」と先の居酒屋の親父は韓国人旅行者に好意的だった。